[綿井健陽 Web Journal  ― 4月17日 バグダッド発 <その10>
米軍のバグダッド制圧から一週間が過ぎた。
いま街を回れば、「明るい」表情や光景は簡単に見つかる。割れた窓ガラスを片付けながら営業再開するお店。米軍の装甲車の脇でサッカーを楽しむ子供たち。以前の制服を着て職務に復帰したイラク人警察官。
しかし、そうした光景の背後から、死者たちの泣き声が聞こえてくる。足や目を失った人たちの沈黙の叫びが聞こえてくる。
断じて「幻聴」ではない。
私はまもなく、このバグダッドから去る。来週早々にはいったん帰国することになった。しかし、近いうちにまたこの地を訪れて、再び彼らの泣き声や叫び声に耳を傾けたい。3月10日の記事でも書いたのだが、アウシュビッツの生き残り、プリーモ・レーヴィはその著書「アウシュビッツは終わらない」(朝日選書)の冒頭で 「これが人間か考えてほしい」と記した。
この戦争がいったい何であったのか。何をもたらしたのか。やはり、彼らの叫び声や泣き声から、根源的な問いかけを今後も続けるしかないだろう。
  綿井健陽(WATAI Takeharu) 03・4・17  
オリジナルサイトは・・・
Video/Photo Journalist 「 綿井 健陽 Web Journal 」

ひと言・・・
アメリカによるイラク攻撃が始まると、NHKを始め多くのニュース番組は戦時広報のようなイラク報道に終始した。
イラク攻撃が開始され2〜3日が経った時点でも、NHKなどのイラク報道はアメリカ政府の代弁ばかり。これらの報道はイラク攻撃を既成事実化することに躍起になっている、という気さえして見る気も失せた。
そんななかで、綿井さんのバグダッドからの現地リポートは、イラク市民の“今”を伝えようとしていた。もちろん最初からそう思ったわけではない。世にいう『戦争ジャーナリスト』の一人と思い、どちらかといえば最初は批判的に見ていた。
しかし現地リポートを何日か見ているうちに、フセイン政権による報道・行動規制下にあっても、視点はしっかりとイラク市民に向けられていることが伝わってきた。どんな武器が使われ、どこを攻撃し、部隊は今どこにいる・・・という報道ばかりの中で、空爆下に暮すイラク市民の恐怖、空しさ、怒り、悲しみ・・・が、淡々と語る現地リポートの中に、きちんと込められていた。言葉に出さない悲しみや、怒りを汲みとることができた。
「この戦争がいったい何であったのか。何をもたらしたのか」と問う彼の言葉は、私たちにも重いテーマとして課せられた。                   ( 2003.4.18)
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