◆◇ 「正しい」戦争はない  ― 調停の努力こそ必要 ◆◇
田口 裕史  「 戦後世代の戦争責任」 著者  ( 2002.1.9 朝日新聞)
―― 武力報復の準備を進めるブッシュ政権に小泉首相は「支持」を表明しています。
必要なのは国際法にのっとった真相追及と犯行グループの訴追です。さらに多くの人命を奪い、問題を長期化、泥沼化させる報復を支持しておいて、憲法の枠内で何ができるかを考えるということ自体、憲法の理念に反する。ブッシュ政権の暴走に歯止めをかけ、調停の努力をするのが、日本の首相の役割であるはずです。
―― 小泉首相は「2度と戦争への道を歩むことがあってはならない」という「反省」を
    述べて靖国神社に参拝しました。
それが本心なら、ブッシュ政権の報復表明に、もっと慎重なはずです。
小泉さんが特攻兵の遺書を見て涙を流す姿をテレビで見た。大事なのはなぜ特攻隊員は死なねばならなかったのか、ということ。それは、国家が死ねと命じたからです。こうした死者を出さない努力が必要なのに、「国のために命をささげた人を国が顕彰しなければ、だれも国のために尽くそうとは思わない」という倒錯した論理になっている。憲法9条は国のために死ぬことを禁じているから邪魔なのでしょう。
―― 靖国問題は「A級戦犯」分し論から「国立墓地」構想に移りつつあるようです。
一人ひとりの個人にとってはかけがえのない恋人や息子や兄弟を戦場に駆り立て、殺してしまった。国はまずそれを謝罪し、補償し、彼らを家族の元に返すべきです。遺族は国に介入されずに追悼する権利をもつ。
―― 遺族の中には靖国にまつって欲しいという人もいます。
戦没者遺族に対する日本の援護行政は「犠牲」の思想に貫かれてきた。被害が加害と対を成すのと比べ、犠牲には明確な加害者の存在を必要としない。被害者を犠牲者と言い換えることによって加害者をあいまいにし、死者を神聖化することで遺族を取り込んできたのです。それを許している日本人は、結局、あの戦争を本当に反省しているのか、というところに戻ってくる。
―― そうした考えに至った背景は?
戦後50年の欧州戦勝記念日「VEデー」の5月8日、私はロンドンのハイドパークにいました。ナチスを倒した「自由の戦い」とその英雄たちをたたえる空気が満ちていた。多くの違いはあるけれど、「国家に奉仕する精神」を再生産し、「平和のための武力行使」を正当化して人々を取り込もうとする点では靖国と同じです。
こうした「平和のための正しい戦争はある」との考え方は、欧米の大国の間ではまだまだ「常識」で、その文脈でいえば、9条改憲はさほど「突拍子もない」ことではないかもしれない。しかし、日本国憲法は、そんな常識は「非常識」といっているのです。
―― 日本人にはもったいなさすぎる憲法では?
世界人権宣言にせよ、国連憲章にせよ、理念を宣言する文書はそういうものです。常に現実とのずれを抱え込む。特に日本国憲法の平和主義の実現は困難で道遠く、放棄してしまいたくもなる。だからこそ、「不断の努力」をしていくための精神の支えとして憲法をとらえたい。 
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