◆◇ 歴史に対する責任とは  ― 終戦記念日/2001年/夏 ◆◇
( 2001.8.15  朝日新聞)
靖国」が問われている夏、56回目の終戦記念日がめぐってきた。
正午の時報とともに道行く人々が歩みを止め、黙とうをささげる。そんな光景も昨今はめったに見られない。街角には携帯電話で友人と話す若者の楽しげな笑い声がある。成田空港や関西空港は、家族連れで海外のリゾートに脱出する人たちでごった返している。
平和日本の風景である。
戦争の悲惨さを体験した世代ならば、平和のありがたさ、尊さがよけいに胸にしみることだろう。日本の平和と繁栄は、先の大戦の痛ましい犠牲の上に築かれている。そのことに、だれも異論はあるまい。
では、その犠牲者はだれなのか。
日本にも多くのファンがいる侯孝賢監督の台湾映画『非情城市』の冒頭、ラジオから雑音まじりに聞こえてくる昭和天皇の「玉音放送」に、台湾のヤクザがじっと耳を傾けるシーンが出てくる。
45年8月15日、戦争終結を告げる放送は日本本土にだけ流れたのではない。国策放送の東亜放送協議会などにより、短波に乗って、当時の中国占領地や満州、朝鮮、台湾、南方地域にも放送された。それは「大東亜共栄圏建設」という美名の下に、アジアを侵害し、人々を殺りくし、強制連行し、協力を強いた軍国日本の一方的な破たん通告でもあっただろう。
そうした他国の犠牲に深く思いを致すことなくして、日本はいかなる戦後の出発点に立ち得たというのだろうか。
旧日本軍・軍属の戦死者約230万人、空襲他で亡くなった民間人約80万人。合わせて約310万人。63年に始まった政府主催の全国戦没者追悼式で追悼の対象となる人たちである。戦死した朝鮮半島や台湾出身の元日本兵たちも、その中に含まれている。93年の細川首相から、追悼式に参列する歴代首相がアジアへの加害責任にも触れることが「ならわし」になってもいる。
だが、追悼式に流れる主旋律は、あくまで内向きの自国民中心主義である。戦争被害への補償についても同様だ。「約1兆円」と「約41兆円」。戦後、日本政府がフィリピンなど28カ国に支払った賠償金の合計と、日本人の旧軍人・軍属やその遺族らに支払った恩給などの累計との対比に、それは歴然としている。「サンフランシスコ講和条約と、その後の2国間の賠償協定によって戦後処理問題は決着済み」と政府はいう。なのに戦後半世紀以上がたっても、日本の過去を責め、道義を問う声はやまない。
戦後の原点に立ち返るとき、どうしても避けて通れないのは昭和天皇の戦争責任をめぐる問題である。満州事変に始まる15年戦争について、天皇はある時は軍部の暴走をたしなめ、ある時は軍部の動きを追認した。そのあたりの事情は微妙だ。
だが陸海軍を統帥し、すべて天皇の名において「皇軍」への命令が下されたことを考えても、やはり天皇の戦争責任は免れない、というほかあるまい。
戦後の東京裁判では、米国の占領政策の思惑もあって、天皇は免責された。国民の多くは、かわりに少数の戦犯が罪を負うことを「だれかが貧乏くじをひくのは仕方ない」と受容し、戦争責任や戦争協力を自らの痛切な問題として引き受けることを怠ってきたのではなかったか。
「国家の最高位にあった人物がつい最近の出来事に責任を負わないで、どうして普通の臣民が自らを省みるか」(ジョン・ダワ―氏、『敗北を抱きしめて』)
米国の歴史家のこの指摘に、わたしたちはどんな答えができるだろう。
食べることに必死の時代だった。戦争の記憶を振り払うかのように働き、高度成長を遂げ行きついた先がバブルだった。そして、その後始末にもがいている。90年代の「失われた10年」は、成功と繁栄をひたすら追い求めてきた日本が陥った空洞でもある。あの自滅戦争の教訓と戦後の来し方を国民一人ひとりが見つめ直し、記憶を語り継ぐ。そのことなしでは、この国の未来は、夏の逃げ水のように頼りないものになりはしないだろうか。
過去を謝罪し続ける日本は卑屈で自虐的だ、と反発する声がある。歴史の事実に目を閉じ、自己犠牲という美しく気高い「国民の物語」を夢想する人たちがいる。しかし、民族的な自尊心に力みかえった結果がどうであったか。「殉国」を美化する風潮が何をもたらしたか。それは歴史が教える通りだろう。
「過去の歴史の克服」は道義の問題にとどまらない。日本だけが問題を抱えているのでもない。国際社会の共同利益に資する作業なのだ、という視点を持ちたい。
「古い葉が落ちて新しい芽が出るのではない。あたらしい芽がでることで、ふるい葉がおちるのです」
外務事務次官や韓国大使を務めた須之部量三さんはそう話す。

来年は日韓共催のサッカーのワールドカップが開かれる。両国の理解と友情を深めるまたとない機会だが、教科書問題などをめぐって関係は冷え込んでいる。古い葉が新しい芽が出ることを邪魔して、歴史の歯車を逆戻りさせてはなるまい。
心を開いて他者と共生する道を探る。それは、比類のない「戦争の世紀」であった20世紀を生きてきた日本人の、歴史と自分自身に対する責任でもある。
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